752 名前:名無しさん@1周年[] 投稿日:2000/06/08(木) 11:46
何よりも食べる事が好きな父の、その病名はガンだった。
肺ガンが腸に転移し、もはや手遅れだった。
当時高校生だった私達2人と父に、死の宣告などできなかった母は、
来る日も来る日もひとり公園で泣いていたという事を、父の死後聞かされた。
それでも母は父が治る事を信じ、自分を奮い立たせるように、今まで通り
食卓いっぱいの夕ごはんをつくり、笑顔で父と私達姉妹を出迎えた。
父は何よりも食べる事が好きだったのに、入退院を繰り返す度に食が細っていった。
「食べないと良くならないよ」と言う私達姉妹に父は、
「外で食べてきたからお腹いっぱいなんだ」と繰り返した。
そんな父を見ても母は、笑顔で食卓いっぱいの夕ごはんをつくり続けた。
何度目かの入院の前の晩、食卓に父の大好物のカニが並んだ。
昼間の仕事で疲れたのか、母が身を外したカニに殆ど手を付けず、父は床についた。
夜中、喉が渇いて台所に行くと、そこに父の姿があった。
立ったままカニを食べている、やせ細った父の後ろ姿があった。
私はそれを見た瞬間、父がもう長くないことを悟った。
そして、そのことを一番知っているのは他ならぬ父であると思った。
カニを口に運ぶその姿は、父の食への、イコール生きる事への執念のように見えた。
同時に、いっぱいの食事をつくり続け、笑顔を見せ続けた母を思った。
私は泣いた。何も気付かなかった自分を恥じた。
カニは、父のこの世での最後のご馳走になった。
あれから十年ちょっと、今でも我が家の食卓にはいっぱいのおかずが並ぶ。
パートに出て働いて働いて、私達姉妹を大学までやった母は、
「あんたたちに肩身の狭い思いだけはさせないでやってくれ、
っていうのがお父さんの遺言だったからね。」
と、苦労など微塵も見せず笑う。そんな母も今年還暦を迎える。
いつも文句ばかり言うけど、お母さん、お父さんとお母さんは私の誇りだよ。
お父さんの十三回忌が終わったら、温泉にでも連れていってあげようかな。
何よりも食べる事が好きな父の、その病名はガンだった。
肺ガンが腸に転移し、もはや手遅れだった。
当時高校生だった私達2人と父に、死の宣告などできなかった母は、
来る日も来る日もひとり公園で泣いていたという事を、父の死後聞かされた。
それでも母は父が治る事を信じ、自分を奮い立たせるように、今まで通り
食卓いっぱいの夕ごはんをつくり、笑顔で父と私達姉妹を出迎えた。
父は何よりも食べる事が好きだったのに、入退院を繰り返す度に食が細っていった。
「食べないと良くならないよ」と言う私達姉妹に父は、
「外で食べてきたからお腹いっぱいなんだ」と繰り返した。
そんな父を見ても母は、笑顔で食卓いっぱいの夕ごはんをつくり続けた。
何度目かの入院の前の晩、食卓に父の大好物のカニが並んだ。
昼間の仕事で疲れたのか、母が身を外したカニに殆ど手を付けず、父は床についた。
夜中、喉が渇いて台所に行くと、そこに父の姿があった。
立ったままカニを食べている、やせ細った父の後ろ姿があった。
私はそれを見た瞬間、父がもう長くないことを悟った。
そして、そのことを一番知っているのは他ならぬ父であると思った。
カニを口に運ぶその姿は、父の食への、イコール生きる事への執念のように見えた。
同時に、いっぱいの食事をつくり続け、笑顔を見せ続けた母を思った。
私は泣いた。何も気付かなかった自分を恥じた。
カニは、父のこの世での最後のご馳走になった。
あれから十年ちょっと、今でも我が家の食卓にはいっぱいのおかずが並ぶ。
パートに出て働いて働いて、私達姉妹を大学までやった母は、
「あんたたちに肩身の狭い思いだけはさせないでやってくれ、
っていうのがお父さんの遺言だったからね。」
と、苦労など微塵も見せず笑う。そんな母も今年還暦を迎える。
いつも文句ばかり言うけど、お母さん、お父さんとお母さんは私の誇りだよ。
お父さんの十三回忌が終わったら、温泉にでも連れていってあげようかな。
食卓いっぱいの食事が並ぶって、なんでまだ実家でスネかじってんの?まさかとは思うけど親に食事作らせてないよね?
28になるまで温泉旅行すら連れてってないの?さっさと親孝行しろよ
honwaka2ch
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